Sugarのお気楽生活

線維筋痛症になっちゃいました、心身共に頑張りすぎずにお気楽に過ごしたいな。 気になる事をツラツラ書いてます。

名も無き人々が声を挙げた日(過去日記)

03年5月8日㈬


18時過ぎ仕事が終わり
偶然帰りが一緒になったWさんを誘い
Kフォーラムへ急いだ


会場前には大勢の人 人 人

18時29分
さるさる日記の更新お知らせメールが携帯に届いた
勝谷誠彦』さんの日記だ

どうも満員で入れないらしい

5000人入る大ホールに
入りきれないでいるのを今見ている


正直
ほっとした


会場へ入れないほど
人が集まった事に…


そして

会場に入らないで済んだ事に…


Wさんが一緒だったので
冷静でいる事が出来たが
入り切れない人の波を見ただけで
胸が詰まり泣きそうになっていた


一人だったらそのまま外にいるつもりだったが
その場を去ることにし
近くで二人で食事をした


Wさんは私の数少ない仲の良い友人の一人
思想に片寄りが無く
良い意味で批判精神があり
一緒に社会問題を話せる友人なんだけど…


拉致被害者を支援する集まりがあると
歩きながら手短に話をした


「○×新聞系の集まり?」

「“団体”や“人が集まって何かする”そういうの嫌だなぁ」

そんな言葉を聞いた

ショックだった

Wさんのような人でさえ
拉致被害者を支援”する人たちを
“うさんくさい”“訳がわからない人たち…”
そうとらえている事


拉致被害家族は20年近く
個々で助けを求めるべく 声を挙げていた

5年ほど前に
拉致被害家族が初めて集まり助けを求めた


国は無視をし続けた


最近になり
少しづつマスコミにで取り上げられる事になり
25年かかってようやく
私のような個人も知る事になった


拉致被害家族のそれぞれが
個々で声を挙げていた25年前は
他人からは白い目で見られ
逆に差別を受けたらしい…


国際フォーラムに集まった人のほとんどが
名もない人ばかり
協会や団体の集まりではなく

繋がりはたった一つ

“拉致された人達を救いたい”

たったそれだけ



国際フォーラム近くで食事をし
友人とわかれた


私は もう一度会場に向かった

終わっている会場でもいい…
回りを歩いた

人がほとんど去った会場外のベンチに座った

個人の持つ力を感じた
鳥肌がたった
胸がドキドキした
立ち上がれない…
会場に入れはしなかったが
たくさんの人のエネルギーを感じていた


名も無き人が集まり
声を挙げた瞬間だと感じた