Sugarのお気楽生活

線維筋痛症になっちゃいました、心身共に頑張りすぎずにお気楽に過ごしたいな。 気になる事をツラツラ書いてます。

震災後の「親子でボタンつけ」授業に怒り  自分たちの体験を次に生かす大切さ〔陸前高田市長〕(時事通信) - Yahoo!ニュース

震災後の「親子でボタンつけ」授業に怒り  自分たちの体験を次に生かす大切さ〔陸前高田市長〕(時事通信) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00010001-jij-life

新年

明けない朝に出勤しなくていい

日の出が遅い時期は朝が悲しかったな


でも夏は清々しい気分で
朝をむかえられる



朝日って有り難いとしみじみ




松があけないうちに地震があるなんて

今の御コー室は穢れきってる




薨去を願うジダイに生まれた事


歴史はどう記されるのか





高野槇

新しいシンボル

クワバラ クワバラ

災害ばかりの平成



次代はそれ以上か…

勘弁して下さい



もしかしたら
次代に継がれず薨去ありかも




税金でコンサートに豪華旅行三昧

確か疲れたから辞めるんだったハズなのに
義理の母親の命日に
わざわざテニスとかしちゃうし

年寄りは京都で(軟禁)隠居すれば⁉

あっ!
息子みたいに手癖が悪いかもしれないから駄目だよ

お宝流出しちゃう(笑)



年寄りは出歩かないで
日本国民が見物行けばいいんじゃない

ガラス張りの部屋で優雅に
ピアノ弾いてるの観せるのなんてどう?

高額な見学料取って稼いだお金で
自費で好きな場所に行けばいい

まだまだ日本には
払う人たくさんいるから





環天頂アーク? 環水平アーク?

前兆⁉



年内に来る⁉




耳鳴り 低周波

東京 埼玉 群馬 栃木 新潟


いつものライン

冷静に(過去日記)

03年5月9日㈭


昨日の興奮がさめない


昨日の“拉致被害者を救うための国民集会”を
どれだけ取り上げているか
朝から各番組のニュースを見る

冷静になってみると私の友人Wさんがそうであったように
まだまだ理解されてはおらず
地道に訴えて行くしかないのか…

私はこうして日記に書く事位しかできない


現場に行った人や(行きたかったが行けなかった人)
興味をもっている人には興奮は伝わる気がするが

興味が無い人や
興味があっても理解されていない事が多くて

まだまだ
基本的な訴えは必要だと感じる


知らない人ではなく

“あなたの家族が被害にあったら!”

どうかそう感じて欲しい

名も無き人々が声を挙げた日(過去日記)

03年5月8日㈬


18時過ぎ仕事が終わり
偶然帰りが一緒になったWさんを誘い
Kフォーラムへ急いだ


会場前には大勢の人 人 人

18時29分
さるさる日記の更新お知らせメールが携帯に届いた
勝谷誠彦』さんの日記だ

どうも満員で入れないらしい

5000人入る大ホールに
入りきれないでいるのを今見ている


正直
ほっとした


会場へ入れないほど
人が集まった事に…


そして

会場に入らないで済んだ事に…


Wさんが一緒だったので
冷静でいる事が出来たが
入り切れない人の波を見ただけで
胸が詰まり泣きそうになっていた


一人だったらそのまま外にいるつもりだったが
その場を去ることにし
近くで二人で食事をした


Wさんは私の数少ない仲の良い友人の一人
思想に片寄りが無く
良い意味で批判精神があり
一緒に社会問題を話せる友人なんだけど…


拉致被害者を支援する集まりがあると
歩きながら手短に話をした


「○×新聞系の集まり?」

「“団体”や“人が集まって何かする”そういうの嫌だなぁ」

そんな言葉を聞いた

ショックだった

Wさんのような人でさえ
拉致被害者を支援”する人たちを
“うさんくさい”“訳がわからない人たち…”
そうとらえている事


拉致被害家族は20年近く
個々で助けを求めるべく 声を挙げていた

5年ほど前に
拉致被害家族が初めて集まり助けを求めた


国は無視をし続けた


最近になり
少しづつマスコミにで取り上げられる事になり
25年かかってようやく
私のような個人も知る事になった


拉致被害家族のそれぞれが
個々で声を挙げていた25年前は
他人からは白い目で見られ
逆に差別を受けたらしい…


国際フォーラムに集まった人のほとんどが
名もない人ばかり
協会や団体の集まりではなく

繋がりはたった一つ

“拉致された人達を救いたい”

たったそれだけ



国際フォーラム近くで食事をし
友人とわかれた


私は もう一度会場に向かった

終わっている会場でもいい…
回りを歩いた

人がほとんど去った会場外のベンチに座った

個人の持つ力を感じた
鳥肌がたった
胸がドキドキした
立ち上がれない…
会場に入れはしなかったが
たくさんの人のエネルギーを感じていた


名も無き人が集まり
声を挙げた瞬間だと感じた

記憶と記録

勝谷さんが何時メールをくださったのかを調べてみたら2002年2月でした
 


記憶は曖昧ですね(笑)



娘の受験について書いた日記に初めてメールを頂き
ソウルからですと

いま東京に帰りましたとまたメールを頂き



私の出生について書いた日記には
竜飛岬よりとあり

勝谷さんがこれから記事にするお話と
私の出生が関連していたからか感想を頂き

これから記事になる文章を先に読ませて頂いたり…



文学賞受賞者の氏名の間違えを知らせて頂いたり(笑)



以外にメールをやり取りしていたのを
今更ながら思い出しました